リオデジャネイロ開かれていたオリンピックとパラリンピックが終わりました。
大会に出場していた選手たちの活躍を見ていて、メダルを取れるかどうかに関わりなく、私たちの身体能力のすごさに圧倒される思いがしました。
もちろん、私たち誰もがあのようなパフォーマンスを発揮できるわけではありませんが、私たちが想像以上の力を持っていることを体感することができました。
その一方で、パラリンピックの競技を観ていたとき、私たち誰もが持っている限界もまた感じました。
パラリンピックには、手足が不自由だったり、視聴覚に問題をかかえたりしている人たちが出場しています。
そうしたハンディキャップを抱えながら、選手たちは、残っている体の力を活かして、これまた素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。
もちろんハンディキャップはあります。
ですから選手たちは、そのハンディキャップを受け入れ、それをカバーする手立てを考えて競技を行います。
手足が不自由な選手たちは、それをカバーする器具をつけています。
視聴覚に問題をかかえている選手たちは、そうした問題のない人たちの手助けを上手に受けていました。
自分に不足している能力をきちんと受け止め、それをカバーするための手立てを講じている選手たちの姿に、私は、ハンディキャップを受け入れる勇気や、自分の力だけに頼らない力強さを感じていました。
考えてみると、私たち人間はだれも完璧な存在ではありません。
生まれたときにはまったくの無力で、親や保護者に守られてはじめて生き延びることができます。
少し大きくなってからも、まわりの人から多くのことを教わりながら成長していきます。
大人になってからも他の人の手助けは必要ですし、年を取って身体的な衰えが見えてくると、それまで以上にまわりの人に助けを求めなくてはならなくなります。
そうしたときに、何でも自分でやらないといけないと考えて頑張りすぎると、無理が生まれてきます。
心身ともに疲れてきて、本来持っている力まで発揮できなくなってしまいます。
そうしたときに自分の不十分さを受け入れて、まわりに手助けを求める勇気を持つことの大切さを、パラリンピックの競技を観ながら感じていました。