こころトーク

2016.01.29

第18回 「「あさが来た」を認知行動療法の視点から」

2週間前にNHKの連続テレビ小説のことを話題にしました。

いま進行中のドラマ「あさが来た」も面白い内容ですね。

でも、純粋な一視聴者という立場でなく、つい認知行動療法からの見方をしてしまうのは、専門家の“さが”でしょう。

夫が外で働き、妻が家を守るという当時の平均的な夫婦関係に縛られない主人公“あさ”の活躍を観ていると、これこそが心のしなやかさだと考えてしまいます。

「男だから」「女だから」「…だから」と考えることで私たちは自分を窮屈にしています。

“あさ”のようにしなやかに考え、既成の枠から自分を自由にできれば、自分が持っている可能性が広がってきます。

そう考えながら観ていると、今度は、下女の“おふゆ”の「ウチなんか」という言葉が気になってきます。

「どうせ自分は何もできないし、誰も認めてくれない」と諦めたようなこころの口癖です。

そう考えていると、現実がそのようにしか見えなくなります。

本来持っているはずの自分の力を引き出せなくなります。

結局物事が思うように進まなくなり、「やはりダメだった」と妙に納得して、落ち込んでしまいます。

“どうせ”とか“やはり”というのは、注意しなくてはならないこころの口癖です。

こうした口癖は、気がつかないうちにこころの力を吸い取ってしまうからです。

“どうせ”と考える前に、少しでもできることがないか考えてみましょう。

“やはり”と考える前に、他に手立てがないか考えてみましょう。

何か手立てが見つかり、少しでも変化していることに気づけば、それがきっかけになって先に進めるようになってきます。

そのように先に進める力を引き出すには、他の人の力も大切です。

「ウチなんか」という“おふゆ”に「そんなことはない」と強く言う手代の亀助と、ふらふら何も考えていないようでいて、どうしてものときにはすっと動いて“あさ”の助けになっている夫の新次郎。

臨床家も、こんな手助けができるようになれば良いのにと、こころのどこかで真面目に考えながら、しかしドラマも楽しんでいます。