認知行動療法の創始者のアーロン・ベック先生が書いた本に『認知療法―精神療法の新しい発展』(岩崎学術出版社)があります。
ベック先生がはじめて認知行動療法についてまとめて、1979年に出版されました。
認知行動療法の基本的な考え方や使い方がわかりやすく簡潔にまとめられていて、認知行動療法の専門家の間では古典として高く評価されています。
それだけ素晴らしい本ですが、出版されるまでにはいろいろな困難があったと言われています。
いまでは多くの人に知られている認知行動療法ですが、その頃はほとんど誰にも知られていませんでした。
そこでベック先生は、本を出版して認知行動療法を世の中に広めたいと考えました。
そうは言っても、その頃のベック先生は無名の精神科医です。
出版社から出版の誘いがあるわけではありません。
ですから、ベック先生は自分で書きためた原稿を携えて出版社に出かけました。
対応した編集者に内容を説明し、原稿を手渡して、出版社を後にしました。
次の日、その編集者からベック先生に電話がありました。
その編集者は、興味深い内容だったので一晩で原稿を読んだと言います。
しかし、それに続けて、「考えに目を向けるという簡単な方法で精神疾患の治療ができるはずがないから出版できない」と言ったのです。
ベック先生はガッカリしました。
せっかく心を込めて書いた原稿を出版するあてがなくなったと考えたことでしょう。
自分の力のなさを嘆き、人から受け入れられないつらさや、今後に向けての絶望感など、いろいろな考えが頭に浮かんだことでしょう。
出版を断られたのですから当然の反応です。
しかし、このように失敗の方ばかりに目を向けてしまうと、編集者が「面白かった」「一晩で読んだ」といった事実を見逃してしまうことになります。
うまくいかなかったことは事実ですが、「面白かった」「一晩で読んだ」という事実をいかせば、次につながる可能性が見えてきます。
私たちは、良くないことが起きるとそればかりに目を向けることになりがちです。
そのときに、それ以外の事実にも目を向けることができれば、見える景色が違ってきて、次に向けての工夫を考えることができるようになってくるはずです。