先週、私の生まれ故郷の愛媛県に行きました。
もう実家はなくなっているので、厳密な意味での里帰りではないのですが、出身地の縁で年に1、2回、研修会や講演会に呼んでいただくのです。
毎年、知っている人に会えるのは嬉しいことですし、子どもの頃から慣れ親しんだ訛りが心地よく感じられます。
研修会の会場が、私の出身校があった場所に近かったこともあって、時間を見つけてそこに行ってみました。
ずいぶん前に学校が移転していたこともあって、いまはそこに巨大な商業施設が建っていました。
しかし、当時学校の敷地を縦断していた路面電車は昔のままで、しばらく立ち止まってその風景を眺めていました。
そうすると、思春期時代の楽しかった思い出がこころの中によみがえってきます。
もっとも、このコラムで何度も書いてきたように、私の思春期時代は決して順風満帆ではありませんでした。
それどころか、実際には、いろいろな挫折を体験しました。
成績は最下位をさまようような状態で、いま思えば、あのような状態からよく復活できたものだと思います。
あきらめないで頑張った自分をほめたい気持ちがあるのはもちろんですが、あきらめないで見守り受け入れてくれた人たちのおかげが大きかったと、いまでは感謝の気持ちがわいてきます。
そうは言っても、思春期時代はこのような良い感情よりも、怒りや恨みなどネガティブな感情を体験することの方が多かったように思います。
しかし、不思議なもので、現在のように研修会などに呼んでもらって温かく受け入れられているという体験をしているときには、良かった体験の方がずっと多くよみがえってきて、こころがほぐれてきます。
記憶は嘘をつくから、あまりそれに振り回されすぎない方が良いと、よく言われます。
それは、過去を思い出すとき、思い出しているそのときの感情が記憶の中に入り込んで、記憶を修飾するからです。
その意味では、記憶は記憶として大事にしながら、いまに目を向けて、いまどのように生きていくのが自分にとって一番良いのかを考えていくのが大事だと思います。