先週は、“反すう”に陥ったときのwhy modeからhow modeへの切り替え、つまり「原因探しではなく、手立て探しを」について紹介しました。
私たちは普通、うまくいかないことがあると、その原因を探し出して解決することで、問題を乗り越えていこうとします。
これは子どものころからの習性で、原因がわかれば解決策が見つかると思い込んでいるからです。
たしかに原因がわかると、解決策は見つけやすくなるでしょう。
しかし、原因がわかっても解決できないことはたくさんあります。
私のように年を取ってくると、昔のように素早く動くことができなくなります。
40歳半ばのころだったと思いますが、草野球で相手チームの選手がフライを打ち上げ、そのボールを取ろうと見上げて走っていたときに、脚がからまって転倒してしまったことがあります。
思い切り肘をぶつけて、後でひびが入っていることがわかったのですが、こうしたことが起きた原因は、私が年を取ってきて、若いころのようにバランスを取って素早く動けなくなってきていたからです。
だからといって、昔の若いころの体に戻ることはできません。
そのときの年齢、そのときの体にあわせて、「どのように」動くようにするのが良いのかを考えるしかありません。
それに、原因がわからないこともよくあります。
「年を取ったから、若いころのように体が動かなくなった」とわかったとして、「どうして」年を取ったら体が動かなくなるのかと聞かれてもきちんと説明することはできません。
そのようなときに「どうして」「どうして」と聞かれると、まるで責められているような気持ちになってきます。
「どうして」とか「なぜ」という原因探しの言葉は、原因がわからないときには責め言葉として受け取られることが多いのです。
私たちは、気がつかないうちに、こうした原因探しの言葉を自分や相手に投げつけて、つらい気持ちにさせてしまっていることがよくあります。
そうしたときにはちょっと立ち止まって、why modeからhow modeへ切り替えるようにしてみてください。