東日本大震災が起きてから8年が経ちました。
その後も各地で災害が起きました。
この間、被災した人たちは、ずいぶん大変な思いをされたと思います。
私は、東日本大震災が起きてから、何年かは毎月のように宮城県女川町を訪問しました。
その頃は、電車が不通で、レンタカーでの移動も危険だということで、仙台からタクシーで移動しました。
災害後の町の様子はテレビで観ていましたが、実際に跡形もなく破壊された町を見たときには想像できないほどの衝撃を受けました。
このような大変な状況に直面している人たちに手助けすることなど私にはできないのではないかと考えて、無力感を覚えたのを思い出します。
でも、町の人たちはそんな私の思いなどとは比べものにならない無力感を体験しているはずです。
そのようなときに自分に何ができるのだろうかと考えるのは、上から目線の自分中心の考え方でしかないのではないかと思いあたりました。
被災した人たちはそれぞれ、自分にできることを精一杯やりながら生活を送っています。
できるかできないかなど考えていられません。
できることをするしかないのです。
そうだとすると、私もまた、その場でできるだけのことをするしかありません。
私たちは、何かをしようとするとき、それができないのではないかと先回りして考えて心配になってしまうことがよくあります。
もちろん、そのように考えて必要な準備をすることは大切です。
心配になるというのは、準備をした方が良いという心のメッセージだからです。
ところが、できないかもしれないと考えると、そこで足踏みをしたり、あきらめてしまったりするようになることがあるので注意をしなくてはなりません。
そうすると、せっかくの心のメッセージを生かすことができなくなります。
できるかどうかは、それをやってみるまで分かりません。
やってみると意外にうまくいくことが多いものです。
うまくいかなくても、思ったほどはダメージを受けないこともよくあります。
そう考えた私は、町の人たちの知恵を聞かせてもらいながら活動を続けていきました。
いま、その活動を振り返ってみて、やってみればそれなりにできることがあるものだと感じています。