今年は桜が咲くのが早くて、もう散り始めています。
先日、日比谷公園の関係者の人と話をする機会があったのですが、その人から、日比谷公園の桜がまばらに植えられているのは、静かに散策しながら桜を楽しんでほしいと考えたからだという話を聞きました。
桜の植え方にもいろいろな考え方があるようですが、桜を見て私が思い出すのは、小学校の入学式と、大学に通い始めた日のことです。
そうは言っても、小学校入学時の桜は写真で見ただけで、そのときの記憶があるわけではありません。
一方、大学に通い始めた日は、桜の景色は記憶になく、おそらく桜が咲いていたのだろうと考えているだけです。
このように記憶は曖昧なものですが、そのときの晴れ晴れとした気持ちははっきりと覚えています。
これまでも書いてきたように、私は大学浪人を3年間続けました。
その間は、まったく先が見えず、暗闇にいるような思いで毎日を過ごしていました。
1年目は、来年は合格できるだろうと考えていましたが、2年、3年と経つうちに、この先どうなるのかといった不安ばかりを感じるようになっていました。
だからと言って、何か特別なことができるわけではありません。
予備校に通って、受験勉強を続けるだけです。
記憶力には人一倍自信がない私ですが、何度も繰り返し勉強しているうちにそれなりの力がついていたようで、最終的に大学に合格することができました。
もっとも、受験勉強をしている間は、どこまでできるようになっているかわからないまま、目の前の勉強を延々と続けるしかありませんでした。
今になって考えてみると、そのように、目の前にすることがあって、それを続けられたことがよかったのだと思います。
その後の人生でも、困りごとに直面して先が見えない状況に置かれたとしても、そのときにできることに集中しているうちに、何かのきっかけで突然目の前が開けてくることを体験しました。
そうすると、さらに先に進んでいこうという気持ちになります。
春になって、そうした体験を思い出して、また少し頑張ってみようという気持ちになっています。