学校の夏休みが終わりに近づくこの時期には、精神的に不安定になる若い人たちが少なくありません。
それもあって、この時期になると、自ら命を絶つことがないようにという若者向けの情報が、様々な形で発信されています。
私も、高校時代には、この時期になるとなぜか暗い気持ちになっていたのを思い出します。
もっとも、「なぜか」と書いたように、なぜ自分がそのような気持ちになっていたのか、わかりません。
そのころは成績がひどく低迷していたこともあって、勉強自体が負担になっていたのかもしれません。
しかし、私自身はそうした理由を考える余裕はなく、ただただ、どんより重い気持ちになっていたのです。
そうしたとき、私にとって幸いだったのは、性格的な弱さでした。
いまでもそうなのですが、私は寂しがり屋で、一人でいるのが苦手です。
ですから、下宿の自分の部屋に一人でいるよりは、いくら成績が悪くても学校に行って同級生と一緒にいる方が、気持ちがラクでした。
幸いなことに、同級生も普通に受け入れてくれていました。
そのおかげで、私は引きこもったり自分を傷つけたりしないで、学校に行き続けることができたのだと思います。
このようにそのころのことを振り返っていたときに、そのころ私が生活していた下宿の隣にあった聾唖(ろうあ)学校のことを思い出しました。
その学校には聞いたり話したりすることに困難を持っている生徒たちが通っていました。
下宿からは、その生徒たちが校庭で遊んでいる様子が見えます。
その様子がとても生き生きとしていたのが印象的でした。
言葉にならない声を出しながら、みんなが楽しそうに校庭を走り回っています。
耳が聞こえない、発語ができないといった障がいのために大変な思いをしているのではないかと考えていましたが、そうした大変さなどまったく感じられません。
まだ若かった私はそれが不思議でした。
しかし、いまになって考えてみると、障がいがあるかどうかよりも、良い友だち関係や人間関係の方がこころの健康にとってはずっと大切だったのだとわかります。
こうした人間的なつながりをどのように作っていくかが、コロナ禍でも大事になると思います。